株式会社gloopsは比較的新しい企業

■2005年に誕生した会社

株式会社gloopsという名前を聞いたことがある人もいるかもしれません。この会社はコンピューターゲームを制作していた会社になります。中でもソーシャルゲームの制作に力を入れていた会社なのですが、コンピューターゲームはテレビゲームなどと比べると、比較的歴史が浅くなっており、株式会社gloopsが誕生したのは、2005年です。2005年と言えば、ウインドウズXPが主流だった時代で、ソーシャルゲームもまだあまり知られていない時期だと言えるでしょう。そのため、ソーシャルゲームが誕生したころから存在していた会社と言えるのです。そんな株式会社gloopsを起こした人物が、梶原吉広という人になります。
現在ではシンガポールに住んでおり、有名人の山本梓と結婚した人物としても知られています。

■2011年には商号を変更

2005年に梶原吉広によって設立された株式会社gloopsですが、実は設立当時はまだ株式会社gloopsという名前ではありませんでした。梶原吉広は最初グローバルメディアソリューションという名前で創業しました。以前から株式会社gloopsは広告代理店を手掛けていました。このころはまだスマートフォンもなく、現在ではガラケーと呼ばれている携帯電話が主流でした。そんな携帯電話のSNSであるREALの運営を2008年に開始したのも梶原吉広なのです。しかし、2011年8月29日に、グローバルメディアソリューションという名前から、現在の株式会社gloopsに名前が変えられました。その翌年に梶原吉広は、株式会社gloopsの会長になっています。株式会社gloopsの会長になったことで、川方慎介という方が社長に就任しています。

■2021年に吸収合併されて解散

梶原吉広によって設立された株式会社gloopsですが、現在ではこのような名前の会社は存在していません。その理由は、2021年7月21日に、親会社であったジーアールドライブに吸収合併されたからです。
子会社化ではなく完全に吸収されてしまったため、2021年の8月以降では存在していない会社となっています。株式会社gloopsが梶原吉広によって設立されたころは、もちろんどこの子会社でもなく、完全に独立している会社でした。しかし、2012年10月1日に、ネクソンという会社が株式会社gloopsを完全に子会社化しました。子会社化ならまだ会社は残っているのですが、この親会社であるネクソンが、2020年2月1日に株式会社gloopsの全ての株をジーアールドライブへ譲渡したことが吸収合併の原因だと言えるでしょう。

[参考サイト] 元・株式会社gloops社長・梶原吉広氏の経歴・話題まとめました! – 実業家ノート

装飾関連の専門学校に通っていた

■日本全国に装飾関連の専門学校はたくさんある

梶原吉広は高校を卒業した後、いきなり起業をしたわけではありません。高校を卒業してすぐに、装飾関連の専門学校に通っていたことがあるのです。梶原吉広は芸能人やスポーツ選手などではないので、詳しいプロフィールが公開されているわけではありません。そのため、梶原吉広がどこの装飾関連の専門学校に通っていたのかは不明ですが、1年間だけ通っていたことがあるのがわかっています。装飾関連の専門学校というのは、日本国内にたくさん存在しています。梶原吉広の出身地である福岡県にも存在していますし、他の地域にもたくさんあります。学校によって設けられている学科も異なっているので、ファッションに関する勉強がしたい人は、どこの学校がよいかいろいろと情報収集をしてみるのもよいでしょう。

■いろいろな学科が存在している

装飾関連の専門学校はたくさん存在しており、学校によって設けられている学科も変わってきます。梶原吉広がどこの学科に所属していたのかまでは不明ですが、装飾関連の専門学校は工業高校や商業高校のようにかなり専門性が強い学校だと言えるでしょう。よく設けられている学科だけに絞っても、ファッションデザイン学科やファッションビジネス学科、ブライダルやウェディングなどの学科が多くなっています。専門学校は卒業したときに就職が有利になるために設けられているので、ただ勉強をするだけではなく、資格を取得することが可能な場合もあります。現在ではいろいろな資格が存在しているので、興味がある人は取得を目指してみるのもよいでしょう。梶原吉広は広告代理店からゲーム関連の業務に移行しているので、特にファッション関連の業務を行ったことはありません。

■勉強の方法も学習期間も多種多様

梶原吉広が通っていたことがある装飾関連の専門学校というのは、学校や所属する学科によって勉強方法が異なるだけではなく、学習期間も異なっています。同じ学科であっても、学校によって学習できる年数が違っているので、どのような内容の勉強をどれぐらい行いたいのかを、しっかりと決めておく必要があります。大体2年制や3年制、4年制のところが多くなっており、専門学校によっては夜間の学習、即ち定時制と呼ばれているところもあるといいます。勉強をしながら仕事もできるような学校も存在していますし、現在では通信教育で勉強できるところも存在しているようです。通信教育なら場所も年齢も一切関係ありませんし、実際に通うよりも安い価格で学習ができるでしょう。

広告代理店も順調だった

■好調だったのに別の業種に乗り換えた

梶原吉広は最初会社を立ち上げたときに、広告代理店として運営していたようです。しかし、すぐにソーシャルゲームの分野に乗り換えたのですが、梶原吉広が立ち上げた会社の売り上げが悪かったわけではないそうです。初年度も好調で、会社として運営していくには十分な売り上げもあったといいます。好調だったのにも関わらず、梶原吉広は広告代理店からソーシャルゲームの分野に乗り換えたのには訳があるそうです。それは自分が何かの1番になりたかったからだと梶原吉広は答えているようです。普通に生活をしていくだけなら広告代理店でも十分問題なかったというのですが、現状に満足しないでどんどん挑戦していく姿勢が成功につながったのでしょう。

■広告代理店ではどのような仕事をしているのか

梶原吉広が最初行っていた仕事は広告代理店だといいます。広告代理店というのは、簡単に言えば広告を出して宣伝をしたいという人に対して、広告の記載を募集している会社を紹介する仲介業のような感じになるそうです。広告を出している会社と言えば、テレビや雑誌、新聞やWEBサイトなどが思い浮かぶでしょう。現在ではインターネットを使う人が多いので、検索エンジンや動画サイト、ショッピングサイトなどでもよく見かけることがあります。このようなサイトを紹介するのも広告代理店の仕事になっているとのこと。仲介を行う職業は、やはり人によって得手不得手が出やすい仕事になりますが、何でも積極的に取り組む梶原吉広には向いていたと言えるでしょう。だからこそ最初は3人で始めた会社なのに、いきなり大きく売り上げを上げることができたのだと言えるのではないでしょうか。

■広告代理店で得た収入で業種を変えた

梶原吉広が設立した株式会社gloopsですが、広告代理店の仕事で大きな収入を得たことにより、この資金を基にSNSでソーシャルゲームの提供を始めたといいます。ソーシャルゲームの元祖と言えば、SNSの走りとも言えるミクシィが思い浮かぶでしょう。ミクシィは多くの人が登録していた日本生まれのSNSですが、このミクシィを見たときに、梶原吉広は自分が行うべきビジネスはこれだと感じたと言います。ソーシャルゲームの分野に乗り換えたのが2008年、会社を設立して3年が経過した年になります。しかも広告代理店で成功しただけではなく、ソーシャルゲームの分野でも成功しているのです。当時はまだソーシャルゲームという呼び方もされていませんでしたし、ソーシャルゲームの数もそれほど多くはありませんでした。そのため、株式会社gloopsが出したゲームは、ソーシャルゲームの先駆けとも言えるでしょう。

テコ入れのために始めたソーシャルゲーム

■はじめは普通のSNSサービスを提供していた

梶原吉広が設立した会社では、最初広告代理店として起業したようですが、その後ソーシャルネットワーキングサービス、SNSの分野に営業方針を切り替えたといいます。それからソーシャルゲームの提供を行ったのですが、梶原吉広は最初からソーシャルゲームの提供を行っていたわけではないようです。
初めは普通にSNSサービスの提供を行っていたといいます。それがREALなのですが、SNSがこれから流行ると思ったきっかけが、当時利用者がどんどん増えていたミクシィだそうです。知っている人や実際に利用している人も多いでしょう。しかし、ミクシィのようにREALは利用者が伸びなかったといいます。そこで梶原吉広はソーシャルゲームの提供をはじめ、渋谷クエストが大ヒットしたとのことです。

■今でもSNSは利用者がとても多い

梶原吉広が起業した頃は、まだSNSがそこまで流行っていたわけではありません。ミクシィの利用者が徐々に伸び始めていたころで、その後ミクシィに代わってTwitterやFacebook、Instagramなどが出てきました。日記のように文章や写真を投稿するSNSだけではなく、動画がメインのSNSも現在では多くなっています。パソコンで利用している人も多いでしょうが、以前のガラケーとは違い、普通にパソコン用の際とも閲覧できるスマートフォンが主流になっている現在では、スマートフォン向けのSNSもたくさん出てきました。このようにSNSの人気が上昇することを読んでいたからこそ、梶原吉広は広告代理店からソーシャルネットワーキングサービス、さらにソーシャルゲームの提供を始めたのだと言えるでしょう。

■携帯ユーザーはピークを迎えていた

広告代理店からソーシャルネットワーキングサービスへと路線変更したのは、今後はSNSが流行すると読んでいたからでしょう。また、携帯ゲームも人気が高まっていたので、普通のSNSサービスでは十分な利益が出ないと予想して、ソーシャルゲームの提供を始め、多くの人が利用するようになったそうです。しかし、梶原吉広が提供を行ったREALも、他のサイトで提供していったソーシャルゲームも、現在で言うガラケー、フューチャーフォン向けのサイトだったといいます。そんなガラケーの利用者は、梶原吉広がソーシャルゲームの提供を始めたころがピークだったと言えるでしょう。その後はスマートフォンがどんどん普及し、ガラケーは徐々に利用者減少していきました。もしスマートフォン向けのアプリなどを提供していれば、現在でも梶原吉広はソーシャルゲームの提供を続けていた可能性もあります。

スポーツゲーム以外はあまり行わなかった

■ゲームはあくまでビジネス

ソーシャルゲームの提供で成功をした梶原吉広ですが、ソーシャルゲームの分野で成功をしたのだから、ゲームも好きだったのではとイメージをする人もいるでしょう。実際にはどうだったのかというと、梶原吉広はあまりゲームをしなかったそうです。全くゲームをしなかったというわけではなく、スポーツゲームはやっていたそうなので、ゲームが好きというよりも、スポーツが好きだったのでしょう。ただし、小学生のころにはロールプレーイングゲームにはまっていたこともあると語っています。最近はゲームが好きで、動画サイトでゲームの実況をしている人もどんどん増加していますが、梶原吉広はあくまでビジネスとしてソーシャルゲームの提供を行っていたのでしょう。

■大乱闘シリーズもスポーツが多い

梶原吉広が手掛けたゲームの中には、大乱闘シリーズがあります。あの有名な大乱闘スマッシュブラザーズなどではありません。梶原吉広は大乱闘シリーズを多数提供していたのですが、大乱闘シリーズの外にも大熱狂シリーズをいくつか世に出しているのです。この大熱狂シリーズは、大熱狂プロ野球カードや大熱狂メジャーリーグカードと言った野球関連の作品が多いようです。大乱闘シリーズは格闘ゲームがメインとなっているので、いずれもスポーツ関連のゲームと言えるでしょう。ゲームにはあまり興味はなかったけれど、今後はソーシャルゲームの人気が高まることや、ビジネスチャンスが期待できることからゲームの分野に参入したことがわかります。しかし、ゲームのジャンルはとてもたくさんありますし、当然スポーツのゲームも多数あります。人気の高い作品もたくさん出ているので、せっかくゲームを開発するなら、自分の好きな分野のゲームがよいと思い、スポーツ関連のゲームが多くなったのでしょう。

■自分が手掛けたゲームはきちんとプレイしている

梶原吉広はあまりゲームを行わないと言っているものの、スポーツ関連のゲームは行うとも言っています。また、自分が手掛けたゲームもプレイしているというので、せっかくプレイをするなら、好きな分野がよいと考えてスポーツのゲームを中心に提供したのではないでしょうか。なぜ梶原吉広は自分で手掛けたゲームは一通りプレイするのかというと、自分にとってわかりやすい作品になっているのか確かめるためだそうです。梶原吉広はそれほどゲームに熱中するタイプではないので、初めてプレイする利用者と同じような目線でゲームを行い、プロデューサーにフィードバックしているということでしょう。